| テーマ | 人類の進歩と調和 |
| サブテーマ | より豊かな生命の充実を |
| より実りの多い自然の利用を | |
| より好ましい生活の設計を | |
| より深い相互の理解を | |
| 開催地 | 大阪府吹田市 |
| 会場規模 | 総面積約330万u |
| 参加 | 77カ国、4国際機構、1政庁 |
| 6州3都市、31国内団体 | |
| パビリオン数 | 外国館 53館 |
| 国内館 32館 | |
| 開催年 | 1970年(昭和45年) |
| 開催期間 | 1970年3月15日〜9月13日 |
| 入場者数 | 6420万人 |
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| シンボルマーク |
日本の国花、桜を形取り、それぞれの花弁は世界の5大陸を表し、中央の円は、日の丸を表している。 |
| 日本を中心に世界が手をつなぎ、進歩と調和を目指していく、日本万国博のテーマを表しています。 |
Description
| 万国博覧会と言えば、パリ万国博覧会というイメージがあり、江戸時代末期に幕府と薩摩藩が、どちらも |
| 日本国王として参加していたという記述が思い出される。 |
| そのパリ万国博覧会にしてもよく調べてみると何度もパリで開催されており、かのエッフェル塔も |
| 第4回パリ万国博覧会(1889)の最大の呼び物として造られたとのことです。 |
| 20世紀に入り博覧会は北米に移り、大規模商業化していき、博覧会本来のEXPOSITION(展示)の意味が |
| 薄れ、北米人好みというか、パビリオンの外観の派手さが目立つようになっていく。 |
| そのような流れの中で1965年、万国博覧会が日本で開催されることが決定した。 アジアで初めての |
| 万国博覧会ということで世界の注目が集まる中、欧州や北米の博覧会スタイルを踏襲しつつも |
| 日本人の美意識と色彩感覚が、この類い希な美しさをもつEXPO'70を生むことになります。 |

| 眩いばかりの光の洪水。見る者を幻想の世界へと誘うEXPO'70の夜景は |
| 最大の魅力であり、圧倒的な美しさです。「夢の国」 「魔法の国」という |
| 形容がふさわしく、色とりどりの光が織りなす交響曲のようです。 |

| わずか半年という会期の短さが華やかさと伴に、一夜の夢の様なはかなさ |
| を与え、美しい祭りの灯りはいっそう夜空に映えました。個性的で、華麗な |
| パビリオンは星々が地上に降りたように、きらびやかに瞬いていました。 |

| 黒川紀章氏や清家清氏を始め, 世界の著名な建築デザイナー達がこの |
| 博覧会に参加し、会場は前衛的、実験的建築の壮大な展示場と化した。 |
| 建築界の第一人者達の作品がこれだけ一同に集結している当時の風景を |
| 見ているだけでも、建築マニアにはたまらない感動です。 |

| この様な建築物はコストを度外視し、惜しみなく資金を投入して造った |
| ものと思われる。高度経済成長の絶頂期にあったからこそ可能であった |
| ことであり、このわずか3年後に発生したオイルショックは世界経済日本 |
| 経済に大打撃を与えることになります。もし、この万博が1975年に開催 |
| されていたなら、全く違った会場風景になっていたかもしれません。 |

| EXPO'70といえば「太陽の塔」。 岡本太郎氏デザインによるこの建築物 |
| はこの万博においてシンボルであり、代名詞です。この奇想天外な塔は |
| 強烈なインパクトをこの万博に与え、深く印象づけることに成功しました。 |

人々は未来への夢があり、明日への希望があった時代でありました、、、。

現在の「太陽の塔」
| 2003年にエキスポタワーも解体され、万博の面影を今に残す最後のモ |
| ニュメントとなりました。その「太陽の塔」も老朽化により取り壊しの危機に |
| 瀕しています。 |